失われた30年という言葉

現在2025年9月17日

その真っ只中を全力で子育て、家事、フルでパートと20年間、目の前のことをしてました。主婦なら皆さんほとんど同じでしょう。朝5時に起床、お弁当を4つ作り洗い物。主人、子供が出た後洗濯物を干して自分も出勤、夕方帰り、夕食の下ごしらえ、子どもの習い事の送り迎え、19時半頃から子どもたちと夕食、お風呂,21時過ぎ寝かしつける頃、主人帰宅、起き上がり夕食を準備。

当たり前のように、二人の子どもが成人するまで続きました。

そうしてやっと50歳、帰りの時間を気にせずに働けるようになったのでパートではない仕事に転職しました。60歳まで働こうと思っていた矢先、新型コロナで仕事を辞めざるえない状況に…多くの方がそのような状況に陥ったことでしょう。

時代は、完全にインターネットの時代に。

結婚した頃、得意だった縫い物は、安くみられて自分が作った物などお金にはならない。自分でそう思ってました。子どもが小さい時少しだけ英語を習いに連れて行きそこで知り合ったお母さんに幼稚園でのおゆうぎ会の衣装を頼まれました。

何もないところから製図を引いてサンプルを1枚作りあげました。フリルも沢山つけて、結構時間もとられて大変な作業です。出来ない人からみると、みやすげにやってくれると思われがちです。簡単に頼んできます。自分的には当時2万円くらいは頂きたいと思っていましたが、そういうお金のやり取りすら出来ずにいました。とても分かりやすい製図だと、他のお母さんも作ることが出来たと、大絶賛をされましたが、菓子箱一つ頂いただけでした。その方が生活ギリギリな感じならば仕方ない、いいことをしたと思えたかもしれませんが英語に通わせるくらいだし子どもには、デパートで買った3万も4万もするようなブランドの服を着せているような方でした。

思い出したくないけれどもう一つ。

自治会でするお祭りのヤブ(鬼)の衣装を作ってほしいと言われました。仕立て屋に頼んだら4万円だからと…

無知な私もそんなにかかるのだと思ってしまいました。今ならならそれくらい当たり前だと思えるし現在は仕立てると8万円〜10万円だそうです。

結局自治会長からは、ありがとうの言葉と靴下3足でした。言葉だけでよかったのに…

ついでにもう一つ。

近所のお母さんとは子どもを遊ばせながらよく立ち話をしていました。保育所に行く男の子のズボンの話になりお腹周りがただの総ゴムでいいのに売っていないとの話。当時西松屋などもなく、子どものズボンは子どもがいない人が企画したであろう硬いGパンや意外と着脱が難しいもの、100サイズくらいなのにファスナーがついているものがほとんどでした。子どもはお腹がでているので総ゴムでいいのだけどなと思っていまいた。私は作れるので、作った服をよく着せていました。

近所のお母さんにも生地を買って作ってあげるよ〜と、言いました。出来上がり持って行き生地代は700円ねと言うと生地代取るのねと言われました。ここでも生活が苦しい人ではなくまあまあな、お金持ちです。けちなお金持ちといったところでしょうか。700円は頂きました。

しかしいけないのは私なのかなと…

これらのことを踏まえてとかく縫い物は安く見られがちでこれを自分で商売にするには成り立たないと実感したのを覚えています。

結婚前、アパレルにいた時の会社の力は本当に凄いとあらためて感じずにはいられません。社長にデザイナーに抜擢して頂き、みんなでパターンを引いて、商品部と生地を決め、工場さんにサンプルをあげて頂き、営業マンにお店の開拓と売り場に置いていただく交渉をしてもらい、大勢の人で会社をつくりあげていました。もっともっと会社に感謝と貢献が出来たのではないかと今なら思えます。

バブルの波に飲み込まれてしまいました。

30年前結婚した頃、それでもYahooオークションがあり、姉がパソコンを買って食器や子ども服を買ったりしていました。私は完全に人ごとで20万円も出してパソコン買うなんてもったいないと思っていました。

色々な経験や思うところも多々ありますが、やはり私の人生から縫い物は外せない

コロナ禍でメルカリや、初めてハンドメイドのサイトに登録しました。こんなにもネットの中でハンドメイドが愛されているのかと思い、嬉しさと、かなり出遅れている自分にもどかしさを感じました。

そんな時Youtubeで流れてきた言葉

「今日が人生で一番若い日」

に救われ、人のことは気にせずせっせと本当にやりたかったことに取り組みながらも試行錯誤する毎日が現在も続いています。

さぁ、来年の還暦に向けて貴重な時間を楽しく過ごし、心地よく交流できる人とだけ繋がっていたいと感じます。

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